この記事は、
インド占星術 人生を読み込めるダシャー
の実例!太陽期の解読
の続編になります。
前回の太陽期は、出生図の
ラーシチャートで太陽が、
最強ケンドラハウスの10室
在住で、さらにダブルで
ラージャヨーガという事で、
確かに人生の幸運期を過ごした
ようです。
さてそれを受けて今回は月期
という事になりますが、私の
出生図であるラーシチャートで
どのような、運気の配置になって
いるか早速観ていきましょう。
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月は、なんと12ハウスに在住して
います。12ハウスとは、困難や障害を
示すハウスで、ウパチャヤ・ハウスの
ように、最初は困難でも後半では、その
悪影響が解消されていく事もなく、困難
なままだという事です。
ただしドゥシュタナハウスの中では、
第8ハウスが、最も凶意が強いので、
それよりは、まだ凶意は少ないという事
です。
しかし、またその第8ハウスとも大きく
関わってくるのです。
まずこの月が在住しているサインは
蠍座なので、この12ハウスの支配星は
火星という事になります。
その支配星火星が、なんと8ハウスに
入っているのです。まあとことん困難な
時期を示しているようですね。
しかし、その支配星火星の在住している
8ハウスのサインは、蟹座なので
支配星が月となります。つまり
火星と月で互いの支配星どうしに
在住しているため。星座交換
(エクスチェンジ)という事になり
ます。
互いの惑星が自室のような居心地に
なるという事で良い面もあるよう
ですが、なんと
お互いが支配するハウスが良いハウスの
場合は良い影響を受け、悪いハウスの
場合は悪い影響を受けるといわれて
います。
一体どこまでとことん、困難な時期なので
しょうね(^_^;)
つまりこの12ハウスの月は、8ハウスの
影響も受けて、とことん困難・障害を
示す惑星という事になります。
ただし救いがあるのは、月は大吉星の木星
からアスペクトを受けています。
木星は、悪い位置にあっても
全てではなくても、凶星や、困難な
ハウスの凶意をいくぶんやわらげて
くれるようです。
つまり月にも少しは救いがあるようです。
木星は高い精神性を持つので、精神的に
救われるという事でもあると思います。
しかし月は心という性質なので、一体
どちらが自分の中心なのかと疑問に
思われるでしょうが、そこは、
私がサビアン占星術で、何度も説明
してきましたように、月は私たちに
対してのマインドと生体プログラムを
与える天体(惑星)なので、木星の方が
レベルの高い精神という事になるわけ
です。
加えて月は、星座交換の火星や木星の
アスペクトで8ハウスとつながる事に
より、モクシャハウスとしての力を
発揮させてもくれるのです。
モクシャハウスとは、第4・8・12
ハウスになりますが、悟りや解脱を
するのに最適なハウスだという事
です。
だから、私の月は世間の目には困難に
映るような影響を受けながらも、
精神的には、とてもレベルの高い
境地にもなれるという事になります。
さてでは私のマハーダシャー月期を
観ていく事にしましょう。
表面上は困難だけれども精神的に大きな
意味のある月期です。
ちょうど20世紀から21世紀に変わる
時期ですね。
【Mo期 1999年10月(33歳) – 2009年10月
(43歳)】
■Mo-Mo期 1999年10月(33歳)~2000年08月
(33歳)
■Mo-Ma期 2000年08月(33歳)~2001年03月
(34歳)
■Mo-Ra期 2001年03月(34歳)~2002年09月
(35歳)
■Mo-Ju期 2002年09月(35歳)~2004年01月
(37歳)
■Mo-Sa期 2004年01月(37歳)~2005年08月
(38歳)
■Mo-Me期 2005年08月(38歳)~2007年01月
(40歳)
■Mo-Ke期 2007年01月(40歳)~2007年08月
(40歳)
■Mo-Ve期 2007年08月(40歳)~2009年04月
(42歳)
■Mo-Su期 2009年04月(42歳)~2009年10月
(43歳)
この期間は細かい時期の記憶が
あいまいです。
まあそれだけつらい時期だったから
かもしれませんが、ただこの年齢に
なると、だいぶそれまでの経験が活きて
かなり精神的には頑丈にもなって
いました。
だから今回はマハーダシャーの月期全体、
33歳から43歳を俯瞰してみていく
事にします。
確かにこの時期は、少し精神的には
つらい時期であったかも知れませんね。
仕事は、ついに印刷業界にも不況の波が
押し寄せてきた事もあり、給料は激減
しましたし、太陽の時期は忙しかった
友達つきあいも、みんな次々と結婚して
家庭を持つようになった事で、テニスの
サークルも、自然消滅のような形にも
なりました。またボーリングもしばらく
は楽しく続いていたのですが、
36歳くらいの時に、親友の男友達が
バイク事故で亡くなったり、30代の
後半からは、父親が鬱病になって、
家庭内も大変になっていったという時期
です。
さらに33歳より以前には、まだ若い
からという理由で、結婚をせずにいたと
いう世間の見方にも変化があらわれて
きて、独身でいる事を普通でないように
観る人たちも多く、この時から、
結婚に大して、意義も期待もして
いなかった自分の意識とのギャップにも
少し苦しんだと思います。
どうしてみんなあたの前のように結婚
して、家庭に縛られながら生きる事を
普通だとして暮らそうとしている
のだろうか、人それぞれに考え方の
違いはあってもいいじゃないかと
ずっと思ってきましたし、もちろん今
でもそのままです。
今でこそ独身も結構普通だと思われる
空気に世間がなっていますが、
20年前から15年前あたりまでは、
まだ少し風あたりが強かったと
思います。
加えて義務感というのは、押しつけ
られるのが大嫌いな性格だったので、
自分としては、とても自然体
な時期でもあったと思います。
まあ確かに表面上というか、日常意識では
とても困難な日々でしたが、その分
スピリチュアルな世界を探求したり、
医学の真実にも気づけるようになって
だんだんと、真実の世界を知る事が
できるようになったのもまたこの時期
だったのです。
まあつきあいも、新たに増やそうという
気はさらさらなく、もともと幼少の時に
培った、精神的な探求の下地があるため
ひさしぶり自分らしく、1人の自由も
楽しむようになっていた頃です。
ただこの時期に何人かの親友とひんぱん
に会って、かなり深いつきあいができ
ていたという事は、自分のバランス感覚
としても、とても良かったと思います。
まあこの時期は、あちこち動きまわった
記憶があります。そしてやはり精神的
には、疲れていた時期なのか、もともと
好きだった日帰り温泉によく出かけた
のもこの時期です。親友たちとも
いきましたね。
特に大阪からほど近いJR尼崎駅から、
歩いてすぐのところにある
「あま湯ハウス」というところは、
とても上等で、なんと有馬温泉と
ほぼ同じ泉質で、温泉の色も赤茶けた
とても濃い色のものでした。
ただ現在は、つぶれてなくなった
ようですが。
とにかくスピリチュアルな学びや
探求と、医療の真実に目覚めて、
そのあたりの情報もどんどん吸収
していったのです。
だから医療の真実に目覚めのは、
ちょうどこの月期が始まる33歳
という事は、やはり象徴的だったと
思います。
神秘メッセージの記事にもよく書いて
ますが、石原結実医学博士の著書に
書かれていた、癌は39.3度
で死滅するという事と、熱は身体を
治癒させる免疫力を働かせるのに
大事だという事は、当時の私にとって
は、とても衝撃的な事だったのです。
それ以後いかに医療の世界は嘘だらけで、
まちがった知識をベースにしていた
事や、テレビでは、国民を不健康にする
ための誘導をしつこいほどに繰り返す
洗脳をしていた事も、この時ずっと実感
していたのです。
会社では、私は、とにかくよくしゃべる
男だったので、四六時中毎日のように、
よく聞いてもらえる上司や同僚を相手に、
医療の真実と私たちがいかに騙されて
きたかを話まくっていました。
そうこうしているうちに、父親が重度の
鬱病になってしかも認知症になり
ついに車椅子生活になってしまうと
それを支えるために、どんどん自由な
時間も制限されていったのです。
ただし、とうとう父親が2008年
5月に亡くなって、かなり深く悲しんだの
ですが、大学の教授でもあった父親の
おかげなのか、世の中のさらなる
真実に気づけるようになったのが、
亡くなった直後の5月末でした。
ふと大きな書店で、立ち読みで読んでみた
太田龍氏訳のジョンコールマン博士の
「300人委員会」
という本を読んで一気に覚醒していった
という事なのです。
そこには、今の多くの人が陰謀論
と勘違いしている、世界のあらゆる
真実が、書かれていたので、当時すでに
マスコミの医療や健康についての洗脳
には、長く気づいていた事で、よくよく
理解できたのです。
そうそうその本を信用するきっかけに
なったのは、ワクチンの危険性について
も書かれていたからです。
「当時ワクチンの中味についてほとんどの
人が知らないのに、みんなワクチンを頭
から信じているのをおかしいとは、
思わないのか」という言葉を目にした時に
一気に目が覚めていったのを覚えて
います。
そこからは、現実の世界の真実を探求する
充実した日々を送るようになって
いったという事です。
これがマハーダシャー月期の中の
アンタルダシャー金星期と太陽期の
時期なので、確かにそれまでの困難な
時期を、真実を知る事によって、
どんどん浄化していけた時期でした。
もちろんこの月期の終盤からの流れは
次の火星期に受け継がれていく事に
なります。
という事で、次回は、私の43歳から
50歳の火星期という事になります。
では次回をお楽しみに(*’▽’)
それから、現在ツイッターから
アクセスしていただいてる方が
多いと思うのですが、ツイッター社
が存続の危機というような話も
持ち上がってきたようなので、
念のため今回のような記事を一覧で
掲載してるページをブックマーク
していただくとありがたいです。
一週間に一度ほど更新していく
カテゴリーです。